未知子さんの合格体験記【追い込みジム司法書士試験3期】

 

執筆者情報

 

1.名前:中村京子(未知子)東京都50代後半女性

 

2.最終学歴:私立大学文学部卒業

 

3.受験回数:9回

 

4.兼業受験生(自営業の専従者、パート的な働き方の主婦/合格年の4月以降は完全な専業主婦)

 

5.予備校を利用(LEC中心。ただしTACや伊藤塾も利用)

 

 

 

司法書士試験受験のきっかけ

 

私と法律の出会いは大学2年生の時でした。

 

当時私は文学部史学科の学生で、社会科教諭を目指していました。

 

教職を取得する必要があったのですが、教職取得の必修科目に民法総則と憲法が含まれていました。

 

経済学部の学生及び教職取得希望の文学部や社会学部など法律を専攻していない学生向けのものでしたが、私にはとても興味深く感じました。

 

法学部に転部しようかとかもう一度大学受験をして法学部に入りなおしたいなどとも考えましたが、実行はしませんでした。

 

 

大学4年の時に教員採用試験を受けましたが、残念な結果に終わってしまい、私立学校事務職員として就職しました。

 

条件は非常に良く、人間関係にも恵まれて、長く働くことができる職場でした。

 

もっとも、若かった私にはやりがいが感じられずに人生に焦りを感じていました。

 

そこで、資格の本を見て司法書士という仕事を知りました。

 

 

合格体験記を見てみたら当時はほとんどの方が独学で長い期間、それこそ40歳くらいまで勉強して漸く合格という合格者が多かったです。

 

まだ24歳・25歳の私にとっては気が遠くなる話でした。

 

そこで、私は司法書士試験を封印することにしました。

 

20代の後半からは学校事務の仕事はしながら教員採用試験を受け始めました。

 

 

その後、当時は競争率が200倍以上あった東京都の中学社会の教師になることは諦めました。

 

そして、大学通信教育で小学校の教員免許を取得して、めでたく教育公務員として働くことになりました。

 

ただ、法律を勉強したいという気持ちはずっとあったので、教員になる前に宅建の資格は取得しました。

 

 

司法書士も考えて、実は教員になる前に勉強したこともあります。

 

司法学院の基本書とLECのパーローの前身のような講座を受講しました。

 

択一はすぐに基準点は突破しましたが、記述には手が回らなかったです。

 

 

その後、実父のパーキンソン病がひどくなり、ヤングケアラーになったこともあり、早々に諦めてしまいました。

 

また、2000年代になると教員採用試験の倍率自体が非常に下がってきて、特に小学校教諭は広き門になったことから父の他界後も司法書士試験に戻ることなく小学校教諭になったのは先述の通りです。

 

 

元々、社会科が好きだった私。

 

非常に忙しい教員生活を送る中で、正直言ってそこまで子どもが好きというわけではなかったこともあり、40代半ばになると

 

「あと定年まで15年、このまま小学校教員を続けていて良いのか?」

 

と悩むようになりました。

 

そこで46歳の時にずっと気になっていた司法書士試験に再挑戦することにしました。

 

勉強開始時の環境とその後の変化

 

私はこういった難関国家試験は一気に合格を目指すべきと思っていたし、土日も仕事をしていた教員生活と両立できるとは毛頭考えていなかったので、退職してからの挑戦となりました。

 

飽きっぽいので一気に合格する気で満々でした。

 

 

「以前、択一はすぐに基準点突破したし、まあそんなに頑張らなくても短期合格できるだろう。」

 

と甘い考えで一回目の挑戦をしましたが、基礎講座受講中からちっとも覚えていない自分に愕然としていました。

 

当時の答練は特に午後の部が悪かったので、超直前期は午後の部ばかり勉強したら、午前の部が大崩れしれしまいました。

 

午前19、午後24で終わりました。

 

 

2年目は新たな講座を受講し、年内の勉強は初年度とは比べ物にならないくらいに力がついているという実感がありました。

 

ところが、年明けに義父のがんの再発、、、そして他界。

 

 

それからは毎年のように母の急速な老化による介護や私自身が何度もがん検診に引っかかるなどして何か月も勉強が出来なくなることが続いていました。

 

なお、引っかかったがん検診は再検査や精密検査などで全て疑いは晴れております。

 

ありがたいことです。

 

仕事のほうも3年目からは夫の仕事を手伝うようになりました。

 

 

本試験は

 

  • 2年目:午後択一が基準点突破
  • 3年目:択一は基準点突破
  • 4年目:択一は逃げ切り、記述基準点未満

 

結果的に病院の付き添いや待ち時間で勉強しやすい択一はともかく、記述が鬼門となり、合格までに年数ばかりかかってしまいました。

 

 

7年目(平成31年)の4月6日に母が突然他界しました。

 

虫の知らせかどうかわからないのですが、7年目は年内から全く勉強意欲がわかずに困っていました。

 

本試験直前期に母との突然の別れにショックを受けてしまい、元々遅れに遅れていた勉強が4月5月は殆ど手につきませんでした。

 

 

令和1年6月になって

 

「あと1ヶ月は頑張ろう。今年、仏前に合格証書をお供えしよう」

 

と決めて勉強しましたが、一歩及ばずで総合落ちでした。

 

この年、初めて記述の基準点を超えました。

 

 

8年目は相続後の手続きと民法改正対策で本試験直後から忙しかったです。

 

答練や模試は非常に良かったのですが、コロナ禍の中、本試験が延期になってしまいました。

 

すると8月頃から明らかにこれまでの疲れが出てきてしまい、自分でも失速していることが分かりました。

 

案の定、再び記述で基準点に行かずに終わってしまいました。

 

 

9年目である今年は受験から撤退するか否かで迷いましたが、11月下旬に再挑戦を決めました。

 

昨年の記述の点数が自分の予想以上に悪かったことが悔しかったこと、飽きっぽい私には来年の本試験までの期間が短いのは絶対に有利になるとしか思えなませんでした。

 

ジムに入ったきっかけ

 

母の他界後、介護にあてる時間が無くなり、再び勉強に使える時間が増えました。

 

一方、当初の目論見とは違い、長引く受験生活に嫌気がさし、精神的にも疲労困憊していました。

 

これは何とかしなくちゃいけないと思っていました。

 

たまたま、司法書士試験ブログ村でジムを見つけて思い切って入会することにしました。

 

学習方針

 

大きな講座を受講した年は予備校の講座方針に従いました。

 

再開した当初は昔使った司法学院の基本書中心で行く予定でしたが、すでに絶版になっていたことや年齢が高くなってからの挑戦だったので、今回は予備校できちんと教えてもらったほうが早く合格できると考えたからです。

 

また、

 

「以前挑戦したときは予備校にそれほど頼らなかったことも早々の撤退に繋がったのかもしれない。」

 

「お金をつぎ込めば私も頑張れるだろう。」

 

という気持ちもありました。

 

 

インプット講座を受講しない年は答練のスケジュールを中心に学習計画を作っていました。

 

  • 年内に主要科目、出来れば民訴まで1回転
  • 科目別答練に合わせて2回転目
  • 直前期に2回転から3回転

 

と言う感じでした。

 

全部で4から5回転する感じでした。

 

今年についてはケータイ司法書士というコンパクトな教材を中心にしたこともあり、直前期だけで4-5回は確認と暗記などをしました。

 

 

一番自分に合うのはインプットとアウトプットが一度にできる教材でした。

 

今年は先述の通りケータイ司法書士を中心にしました。

 

ただ、私はどうしても覚えられない箇所や理由、具体例、関連事項などが出て来ない箇所はやたらに繰り返す回数を増やすより、その部分は節や章など範囲を広げてテキストを確認し、自分の言葉で説明できるようになってから再度インプットとアウトプット一体型のまとめ本に戻っていました。

 

 

また、直前期も含めて2~3ヵ月に一度は基本書の通読をしました。

 

これにより公開模試も本試験も6月以降、択一は60問以上の正答数が当たり前になりました。

 

単に覚えるだけでなく、まとめ本を見ながら常に理由や具体例、関連事項などが頭の中でクルクル回るようになると、形を変えて出題されても安定した点数が取れるようになりました。

 

 

記述は最後まで苦手だったので、あまり言えないのですが、今年はケータイ司法書士でひな形や記述論点を完璧にすべく勉強しました。

 

ケータイ司法書士の記述編で一日が終わってしまうこともありました。

 

 

また、ケアレスミスが多いタイプなので、不動産登記法だけは答案構成用紙を使いました。

 

一方で商業登記記述は役員変更も含めて答案構成用紙は一切使いませんでした。

 

ただ、本試験でつまらないミスをしていたので、時系列くらいは書いた方が良かったと思います。

 

 

直前期はケータイ司法書士での雛形練習と記述論点確認及び答練問題、そして記述の年度別過去問をしました。

 

本試験記述問題は予備校問題より不親切ですし、特有の表現もあるので、絶対に5年分以上はするべきだと思います。

 

受験時代の困難、失敗談、克服方法

 

困難は2年目以降の環境の変化です。

 

何とか親の介護が必要になる前に合格できるという見込みでしたが、親の老いや病は私の予想よりずっと早くやってきました。

 

また、自分自身の健康診断結果にも振り回されすぎたと反省しています。

 

早起きが苦手だったこともあり、朝の時間がうまく使えなかったことも反省点です。

 

さらに環境に恵まれていた初年度に甘い勉強方法をとってしまったことも反省しています。

 

 

克服方法は、、、私の場合は、

とにかく諦めなかったことだけ

です。

 

 

今年は学習環境に恵まれました。この環境で司法書士試験に不合格なら撤退しようと夫とも約束していました。

 

来年も今年のような環境で勉強できる保証はありません。

 

初年度と2年目から7年目までの反省からチャンスの神様には前髪しかないといつも意識していました。

 

今年は私にチャンスの神様が来ていました。

 

このチャンスは絶対に逃してはならぬと決めていました。

 

ジムに入って良かったことなど

 

毎日勉強する内容の宣言と実際に勉強した内容を記録することで、計画的に進めることができました。

 

また、毎日手帳にも記録することで自分がどのくらいの時間でテキストが読めるか?などを客観的にわかるようになりました。

 

自分が宣言した内容を達成するために時間の使い方も工夫するようになりました。

 

 

ほかにもコロ助さんから必要な時にアドバイスを頂いたこともありました。

 

そして、ジムの中には子育てをしながらなどでも長時間勉強されている方もいて刺激になりました。

 

さらに今年の私のように環境に恵まれなくても頑張っている他の受験生の記録を見て、自分の恵まれた環境に感謝し、合格しようと言うモチベーションアップに繋げられました。

 

ありがとうございます。

 

 

迷っている方がいたら、私はジムに入ることをお勧めしたいと思います。

 

どのような司法書士になりたいか

 

勉強を始めた当初は法律を使って世の中の役に立ちたいと漠然と考えていました。

 

今でも法律を使って役に立ちたいと言う気持ちには変わらないのですが、老親を見送った経験から高齢化社会に貢献できる司法書士になりたいと考えております。

 

これから勉強しようという方へ
受験が長引いて苦しい方へ

 

司法書士試験は合格率を聞くと手を出すのに躊躇すると思います。

 

私は要領が悪いし、択一と記述の学習割合を失敗したり、自分の環境の変化を長い事受け入れられないなどの間違えた思考により、何年も足止めを食らう結果となってしまいました。

 

 

今年、合格するまでは

 

「このレベルの試験を合格出来るのは選ばれし者だけだ。私は選ばれし者ではないから一生合格できないかもしれない」

 

と考えてしまうことも度々ありました。

 

 

でも、合格に必要なのは『合格への執念』だと今は思っています。

 

執念が合格を引き寄せると思います。

 

 

本試験中も不動産登記法の記述で諦めそうになりました。

 

15時45分の段階で第一欄しか記載しておらず、第二欄から第四欄まで白紙でした。

 

でも、

 

「ここで諦めたら家族との約束や自分自身の年齢、気力からして再び司法書士試験合格をあきらめることになってしまう」

 

と思うと何とかしなくちゃ、と言う気持ちで再度問題を見ていたら、するべき登記が全てわかり、枠にも当てはまりました。

 

 

ただ、時間的に全ては書く時間も答案構成もする時間が無かったので、添付書面は無視、答案構成無しの直書きで対応しました。

 

結局時間切れで最後まで書けませんでしたが、基準点は十分に超えることが出来ました。

 

あそこで諦めていたら今年の合格は無かったです。

 

 

司法書士試験は選ばれし者でなく、凡人でも合格できる試験だと今は改めて実感しています。

 

頑張ってください。

 

未知子さんの合格報告

 

 

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